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2015年9月22日 (火)

東山動物園(3) ゾウは生き残った

先日の中日新聞に、東山動物園の戦時中のことが載っていた。

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 陸軍から処分を命じられ、次々と動物が殺されていった戦時中の東山動物園で、2頭のゾウ「エルド」と「マカニー」は奇跡的に生き残った。
その陰には、軍の規則に反してえさを分け与えた1人の軍人がいる。
1945(昭和20)年春から、動物園で軍馬を飼育していた陸軍大尉の獣医師三井高孟(たかおさ)(1915-80年)だ。

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高孟は、やせ細ったゾウを助けるため、馬用の飼料をゾウ舎の近くに置くよう部下に指示。
軍紀に反するため、飼料を直接渡すことばできない。
飼育員が抜き取るのを期待しての措置だった。
 機転を利かせた飼育員が目を盗んでゾウにえさを与え、高孟のこの決断が2頭の命を救うことになった。
部下から飼料の減り方が大きいと報告を受けても、高孟は黙認していたという。
 「やせ細ったゾウにずいぶん心を痛めていたようです」。
次男の高尚さん(72)=東京都中野区=が、生前の高孟から聞いた話を本紙の取材に初めて明かした。
ある日、高孟はエサ欲しさに前足を上げ、必死で自分に曲芸を見せるゾウと目が合ったという。
「あの瞳が忘れられないんだ」。
自宅で酒を飲むと、何度も繰り返した。
 米オレゴン州ポートランド生まれで7歳まで米国で過ごし、帰国。
東京帝大理学部動物学科を卒業後、動物好きが高じて農学部獣医科に再入学、獣医師に。
「鉄砲を持たなくても済む」と陸軍付きの獣医師となって満州に従軍し、1人も殺さず帰国した。
 「人間はもちろん、動物の命も大切にする人でした。
『人殺しはできん』が口癖。
とても人に銃口を向けられるような性格ではなかった」。
名古屋に駐留していたころには、子猿を肩に乗せながら防空壕を掘っていたという逸話も残る。
 戦後になっても、家族や近しい友人にしか東山動物園での経験を語らず、死後になって初めて、知人の証言で事実が知られるようになった。
 現役の動物園関係者も、ゾウが生き残った歴史を誇りとする。
橋川央(ひさし)第14代園長(61)は「歴史を後世に伝えていかなければ」と力を込める。
 橋川園長が園の歴史を知るようになったのは、獣医師として勤務した80年代後半。
動物の生年や血統などを記した「動物台帳」を見つけたのがきっかけだ。
先人の働きぶりを知り、在任中のライフワークとして記録を整理していった。
 戦前から戦後にかけて初代園長を務めた北王英一(1900~93年)の市内の自宅へ歴史を聞きに行ったことも。
「もの静かで、気概のある方。北王さんだったからこそ、戦争をくぐり抜けられたのでは」。
再来年、動物園は開園80年を迎える。
「ゾウを守った歴史は動物園の財産。平和の大切さも、一緒に伝えていきたい」

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