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2015年9月26日 (土)

東山動物園(5) 戦後の発展

先日の中日新聞に、東山動物園の戦後のことが載っていた。

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150906zoo1 日経平均株価が初めて1万円を突破した1984(昭和59)年、東山動物園に日本で初めてのコアラが登場した。
「2時間待って5分しか見られない、とお客さんからよく叱られました」。
飼育員の佐藤正祐さん(61)=日進市=は振り返る。
 県内外から人が押し寄せ、72年に東京の上野動物園に来園したパンダに匹敵する一大ブームに。
最年少の30歳だった佐藤さんを含む6人の飼育チームは最初の1ヶ月間、交代で飼育舎に泊まり込み、コアラを見守った。
 飼育のノウハウもなく、食べた餌の量や便の数、睡眠時間などを記録。
4畳半の部屋で仮眠Lても、様子が気になって目が覚める。
宿直日の睡眠時闇は1-2時間だった。
「コアラの効果で園全体に勢いがあった。自分もがむしゃらに働いた」
 バブル経済の崩壊とともに、コアラ人気も落ち着いていった93年に園内にオープンしたのが「世界のメダカ館」。
もともとあった小さな水族館が老朽化し、建て替えの話が出た際、前年にオープンした名古屋港水族館(港区)などの大型水族館と差別化を図るため、メダカに特化することにした。
 佐藤さんはここでも、担当飼育員に選ばれる。
メダカ研究で有名な名大から希少種も寄贈され、「死なせてはいけない」とコアラのときと同じ重圧を感じた。
 飼育部屋には400個の水槽。
毛糸を結んだ産卵床を手作りし、糸の太さや色、形を変え、水槽に入れる。
卵を取り出し、ピンセットでより分ける作業を繰り返し17年間、ノウハウを蓄積した。
 コアラに比べて地味な存在だったが今、日本はメダカの飼育ブーム。
メダカ館にも注目が集まる。
「コアラもメダカも、私にとっては子どものように大切な存在」。
現場で41年間にわたって数々の動物の飼育の基礎をつくり、園の隆盛を見てきた佐藤さんは来春、現役を退く。

 「コアラに負けないくらい、子どもには人気があったんですよ」。
動物園北園にある遊園地。
施設課長の西田俊彦さん(55)は、胸を張る。
 戦後の混乱期を経て高度成長期に入り、動物園の施設も充実し始めた61年、ジェットコースターの簡易版のような「スロープシューター」を皮切りに遊具の整備が始まり、72年「なかよしランド」として現在の遊園地の原型が出来上がった。
 コアラが来園した84年は、遊園地にも客が押し寄せた。
勢いはバブル崩壊まで続き、行楽シーズンは「地面が見えないほど」だった。
 子どもたちの1番人気は、西田さんが最も長く担当したジェットコースター。
出発するときに緊張する子がいたら、「頑張ってね」と声を掛け、笑顔でゴールを出迎えた。
西田さんの長女(26)も約20年前に乗り、泣きだしてしまったことを親子ともども覚えている。
 4年前、スロープシューターは市の認定地域建造物資産に選ばれた。
コアラが来たころのようにはいかないが、3世代で楽しむことができる遊園地は今も、市民にとって特別な場所だ。

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